Starlight Ensign

繰り返し表現

  • 初版:2024年10月06日
  • 更新:2024年10月06日

英語をはじめとした西洋語では、同語反復を避ける傾向が強いが、日本語ではそうではない。ここでは、イジェール語の同語反復に対する姿勢を説明する。

同語とは

ここで言う同語とは、文章中に現れる同じ響きを持った語、または語の構成要素とする。

イジェール語における同語の出現傾向

イジェール語は少ない形態素を基に、派生語や複合語を形成することで新語を作る傾向が強い。従って、どうしても文中に同一形態の要素が登場することが多くなる。

例えば、”Fodvanzrunou fode.”「設定項目を設定する。」の様な文章が生成されやすい。Fodvanzrnoは”Fode”「設定する」と”Vanzruno”「表」を基に形成された複合語で、オプション設定のことを指している。オプションを設定することは当然Fodeで表すため、このような語形成が行われている場合は同語が反復しやすくなる。このような場合は、文脈から十分推測可能であると思われる場合は複合語の構成要素が省略されがちである。すなわち、”Vanzrunou fode.”「項目を設定する。」の形になりやすい。なお、口頭よりも文書の場合の方がより同語反復は避けられやすい。これは、文章では文脈を読み返すことが可能であることによる。

複数の文にまたがる同語反復の場合

前述の文は単文の場合の傾向であるが、複数の文が連続する文章の場合の傾向を考える。

複数の文で構成される場合、例えば日本語では「オプションを設定する。設定されたオプションはすぐに有効化されます。」の様な言い方ができる。この場合に、2文目の「オプション」を「それ」と言い換えることは無い。「私の父は自分の車で私を迎えに来た。その車は昨年買った新車だ。」の場合、「その車」を「それ」と表現することは少ない。走れメロスを参照すると、「メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。」から文章が続き、メロスのことは常に「メロス」と表現され、言い換えられることは無い。

日本語において、「太郎と太郎の父は、太郎の家で食事をした。」は不自然な文ではない。これを単純に人称代名詞に置き換えて「太郎と彼の父は、彼の家で食事をした。」とすると、彼が誰のことだかわかりにくくなる。
「私の父は自分の車で私を迎えに来た。」も日本語においては不自然な文ではない。「私の父は彼の車で私を迎えに来た。」も不可ではないが、一般的には自分の父親のことを「彼」では表さない傾向がある。イジェール語においては”Res cokef s’as vardu reu iduaet.”「私の父は彼の車で私を迎えに来た。」は不自然ではない。

イジェール語の場合、固有名詞であっても誤解の恐れが無い場合は代名詞に置き換えられる。イジェール語には冠詞が無いため、英語のTheの様に複数の表現を単一の物であると示唆するマーカーが無い。また、文法的性による動詞の活用もないため、動詞の語形から推測することも難しい。このため、冠詞を有する西洋語と比較すると、同語が反復される機会には寛容である。

強調のための同語反復

上記の傾向を持ったうえで、強調のためにあえて同語を反復させることがある。

“Res cokef s’as vardu reu iduaet. Suf s’af aririra koaet in.”「私の父は彼の車で迎えに来た。それは彼が昨年買ったものだ。」
“Res cokef ta pamef cokis vardu reu iduaet. Suf s’af arirara koaet in.”「私の父と母は父の車で迎えに来た。それは彼が昨年買ったものだ。」
この例は、1文目で父の車であることが確定しているため、2文目は父をs’aに置き換えている。イジェール語では男女の代名詞が同じであるため、代名詞に置き換えてしまうと父と母の区別はつかない。
“Vanzrunou fode kerin.”「オプションを設定してください。」
直訳すると「表を設定してください」となり意味不明であるが、話者は”fodvanzruno”「オプション設定」の要素省略であることを推測する。
“Aksermakef fom akseran.”「軍人とは戦う者のことだ。」
同語反復をあえて避けない例。”aksere”「戦う」という言葉に価値を持たせているため、初めの”aksermak”「軍人」も省略しない。
“S’af tun sones impir’atar. Tun impir’atarzonef bakin ain.”「彼はあの国の皇帝だ。あの帝国は非常に大きい。」
1文目では本当は「帝国の皇帝」と言いたいが、”impir’atarzones impir’atar”となるのは不格好であるため避けられる。2文目で帝国であることを添えることで文脈を補助している。