人工言語:計測と創作
- 2021年01月22日
- 人工言語
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背景
最近はそもそもこの話自体が下火なので、最早ただの回顧録だけども、一応書いておこうと思う。何年も前の話だが、一時期言語学的な整合性のない言語に対して、完成度が低いとか、不自然だとか言う風潮があった。その時に「計測のツールをそのまま創作に転用するな」という趣旨で発言したが、何を懸念しているのかが伝わらなかった。どうしたものかと思っていたところ、企業におけるノルマの話を引き合いに出すことで、多少なりともわかりやすくなると感じたので、書いておく。
問題意識
「計測のツールを援用して創作することで人工言語の姿が決まり、その結果として望みの言語の姿を得る」というスタイルには落とし穴があると考えている。具体的にはアルカの認知言語学的考察のような表を念頭に置いて、この表で整合性がとれていなければ、整合性がとれるように修正していく…… という流れにはある種の危うさがある。
なぜ危ういか
端的に言えば、 ある指標をノルマとすることで、指標の指標性自体が歪むから の一言に尽きる。
例えば、企業におけるモチベーションアップ施策について考える。ここでの「モチベーション」というのは、社員アンケートによって得られる計測値である。これが上下する要因としては、業務が明らかに非効率的であるとか、やっていることが世の中の役に立っているように思えないだとか、そういった様々な問題が考えられる。従って、モチベーションを社内の「良さ」の総体的な指標とすること自体に問題があるとは思えない。
しかし、モチベーションが低いことが問題であるからと言って「モチベーションを必ず前年度比で10%ずつ上げる」というノルマが課されたらどうなるか。社員側として最も楽な選択肢は、「あらかじめモチベーションが低くなるような回答を初年度にしておいて、アンケートごとに良さそうな印象の回答を増やしていく」になる。これでは意味がないどころか、アンケートの指標としての有用さ自体が毀損されている。 計測のために有用な指標だからと言って、それに直接ノルマを設けると、計測のために有用であるという性質自体を失ってしまう。
元の話に戻って考えると、言語学の諸概念はすべて自然言語の分析のために用意されているツールなので、それを創作のために使用するときは注意して用いないと、分析自体の正当性を歪めてしまう。表に書かれている概念だけを、なぜその概念が指標として選ばれているのかへの考察なしに決めていくと、おそらくひどくチグハグなものになってしまうはずだ。その点には作者は自覚的である必要があると思う。
余談
改めて読み返すとセレン氏本人はかなり慎重な表現をしていて、
客観的把握と主観的把握は法則ではなく傾向なので、客観的把握をする言語であっても主観的把握をする言語の特徴を持つことはありえる。
とか、
言語制作者が言語学の知識を持った上であえて思考実験として不自然な言語らしさを与える分には問題ない。(中略) あくまで傾向でしかないことに留意したい。
とか、計測が創作を拘束するものではないことを度々述べている。また、この分析自体もアルカに対しては事後的に行われたもので、これを念頭にアルカへの考察を深めることはしても、この表の整合性を増すためにアルカを作り替えるということはしていない。
さらに余談
とは言え、「最高に自然な人工言語」という同じ土俵に上がろうとする相手に対しては、非常に辛辣であったことが事実であることは付記しておく。