Starlight Ensign

うつへの向き合い方

契機

自分は精神を病んでいた時期(うつ)があり、その時に自分の状態を分析した結果を、いまさらながらまとめておこうと思う。

相関関係の崩壊

うつになっていた時、自分の中で起こっていたことは因果関係の崩壊である。「エネルギーが不足してきたので空腹を感じる」「楽しいことをやったので気分が晴れる」「睡眠が必要なので眠くなる」などは、すべて意思と身体の状態間の相関関係が存在する。

うつの時、これらの連動は崩壊する。「何も食べていないのに腹が減ったように感じられない」「布団から起き上がれないが眠くない」「楽しいことをやりたいと思っても体が動かない」などの様に、精神と身体が分離したように感じられて、思ったとおりに身体は動かないし、身体の信号は精神に響かなくなる。

健常な人にとって、人間は「心と体」でできている。そして、この二つは連動しているものとされる。「一時的な体のだるさは一時的な気の迷いによるもの」であり、「明るい気持ちでいれば体も元気になるもの」であり、「体を動かせば心も晴れる」ものである。

しかし、心と体を結ぶもの(ここでは無意識と呼ぶ)が崩壊していると、上記は成り立たなくなる。身心の連動が崩壊している状態では、これらの連動は起きない。心身の持ち主がコントロール不可能な領域について、どうにかすることはできないため、このようなことを言われると無力感に苛まれることになる。

コントロール不可能領域への観念

「コントロール不可能領域をコントロールしようとする」と言うこと自体がうつの人が持ちがちな観念であることには触れておく必要がある。

自分と他人、客観と主観、事実と評価、これらの概念は前者はある程度コントロール可能だが後者はコントロール不可能である。しかし、うつの人は(原因なのか結果なのはさておき)どこまでがコントロール可能であり、どこからがコントロール不可能なのかの境界が混乱している。他人からの評価を直接コントロールしようとして失敗し、主観的な自己像をコントロールしようとして失敗する。

  1. コントロール不可能領域へのコントロール欲求:自らがコントロールできない要因に対しても、コントロールしなければいけないという強迫観念。
  2. 存在には許可が必要であるという認識:成績、愛情、権力、金などの何らかの指標が一定以上を満たしていなければ、存在を許可されないという認識が強い

なお、「客観はコントロール可能で、主観はコントロール不可能」と言うのは書き損じではない。一般的には逆に考えられがちのように思うが、コントロール可能なのは客観の方である。他者からどう見えるかという客観は操作可能である。操作不能なのは、他者がそれをどう評価するかである。また、自分が自分をどうとらえるかも、容易にはコントロールできない。体が強くなっても、子供のころの病弱な自己像を捨てられない人は多いし、過去に見捨てられた経験からその不安をぬぐえない人も多い。どれも、現在の状況には直接関係がないし、他者から見た場合の姿とも関係がない。自分自身が認識する自己像は容易には変更できないのである。

相談を受ける側の考えとして注意が必要なこと

上記の特徴を考えて、下記に該当する人は相談を受けたときに適切な回答ができない可能性が高い。端的な回答ではなく、丁寧に自分の考えの背景まで含めて説明しないと、状況を悪化させやすい。それが面倒であると思うなら、相談に乗らない方が良い。

  1. 責任が強い人:責任能力ではなく、責任感が強い人は注意が必要である。「結果がすべてであり、他責にしない」ということをモットーにしているタイプの人間は、相手にも他責にしないことを求めるという点においては、非常に他責的である。自らの他責性に目をつぶって、相手の他責性を責めがちであり、うつのように自責性が強い人間にはその点を見破られて心を閉ざされがちである。「お前の責任であると認めろ」は、本当に他責を嫌う人間の口から出る言葉として適切かどうか、今一度考えてほしい。人は思っているほど自分に厳しくなどできない。
  2. 弱肉強食志向が強い人:相談を受ける側になることはお勧めできない。根本的に、うつに陥るタイプと似たタイプであることが多い。親身になりすぎると、同じ状況に引きずり込まれかねないし、それを防ごうとすると相手を傷つけがちである。このタイプの人間は、たまたま心が折れずに成功したために、それを実力と認識して自己の存在感を構築することに成功している。そのことに無意識に気付いているために、うつの人間を前にすると「俺は弱いお前とは違う」と強く主張せずにはいられない。結果が運に左右されてしまうなら、自分の価値とは何だったのか…… この疑問から目を背けるためには、常に自分が強いということを認識し続けなければならないからだ。

なぜ「がんばれ」と言ってはいけないか

ここまでの話で、よく言われる「がんばれと言ってはいけない」が説明可能になる。

がんばれと言ってはいけないのは、端的には、がんばってもどうにもならないからである。表面的な心を入れ替えることは可能である。身体をケアすることも可能である。しかし、その間の連動を直接改善することはできない。改善する必要があることがわかっているにもかかわらず、コントロール不可能であるために改善できないことを指摘されたとき、人は無力感を覚える。無力感はコントロール感の低下をもたらし、余計に状況が悪化する。

がんばれと言うのは一種の命令である。評価基準も明示されず、ゴールもない。そもそも、「お前には期待しているからもっとがんばれ」と上司に言われて良い気持ちになる人は少ないことからも、この言葉の持つ根本的な問題は、健康な人であっても思い至る点があるはずだ。

言い方に注意が必要なこと

なぜ言ってはいけないか、と併せて例示する。共通して言えるのは、事実から離れた信念の提示や、楽観的な希望的観測は危険であるということである。信念の提示は信念の強要(この信念が持てればよくなると思うよ=この信念のない人間はダメだ)に繋がり、希望的観測は端的に事実ではないので信じるに値しないからである。

  1. 誰でもそのくらいは悩むことあるよ / 私もそれに悩んだことある:これはこの後の話の展開に注意が必要である。解消に実力を要するような解決策は提示してはならない。実力が存在のために必要であるという観念を強化するからである。そのような事実があり、現在はそのような事実はない、という事実の提示に留めた方が良い。
  2. きっと一時的なものだよ / 明けない夜はない:これは非常に危ない。いつかよくなるというのは信念であり、事実ではない。もし一時的でなかったらどうするのか、あなたはその責任が取れるのか?だいたい、沈まぬ太陽も無いではないか。楽観的に構えることは、平時には良い選択肢であっても、最悪の状況では最悪の選択肢のうちの一つである。
  3. 誰かが見ていてくれる:良くない。誰かとは誰?なぜ「私は見ている」とは言わないのか。すべての人間がこれを自分に言うということは、全員が自分以外の誰かに託している状態である。また、これを言う人間は「誰もそんなに気にしていないって」などと言ったことは無いか?誰もそんなにあなたのことを気に留めないのに、肝心な時だけは見てくれていると信じるのは、どういう理屈で成立するのか不明である。

では何と言えばいいのか

これは万人に当てはまるものではないと思うが、マシな言い回しは考えることができる。

私は貴方ががんばれると信じている

これは事実の提示であるため、単にがんばれと言うよりも攻撃性が低くなる。健康な人は、この言葉の「何も言っていない性」が気になるかもしれないが、不要なことを言うことこそが、最も求められていることである。2で書いた「存在には許可が必要である」という観念を解除するには、評価や意味がないことが重要で、無意味なことを、無意味である自分などと言う存在に対して行ってくれるということことそが、この観念の解除に対して重要である。

結論:どう向き合うべきか

本人にとって:責任感なんていらない。責任感とは、責任から最も遠い概念である。自分ができることを、求められる範囲で、相応の権限に応じて行うことこそが責任である。責任を負っていないことに対しても責任感を見せるのは、無用な苦しみを背負うだけである。責任感を他人に求める人は、それこそ責任感があるとは言えないだろう。責任範囲をはっきり分けることは悪ではない。互いが無用な苦しみを背負わないように、物事の主人を決めることは悪ではない。責任感は自分を縛る鎖であり、責任感がないと責める人間の方にこそ問題がある。偉く見える人間は偉くない。強そうに見える人間は強くない。彼らはそのように見せることによって、弱さが露呈することを恐れている臆病者である。弱さと向き合うだけの実力もなく、それができる胆力もない。そして、そのことに気づく知性もない。そのような人間が決めた尺度で自分を測っても良いことは無い。弱さに直面して、それを正面から直視できる人間には確かな強さがある。それは誰にも気づかれないかもしれないし、誰にも評価されないかもしれないが、それで問題はない。どうしようもない人間の内面を予測してコントロールすることは不可能なので、理由を考えることはやめて、事実とだけ向き合えると良いと思う。

相談を受ける側として:たわいもない雑談をしよう。無価値なこと、無意味なことを一緒にやろう。相手には価値が無くても、それで私が離れるわけではないということを態度で示そう。解決しようとして自分の考えを話すのはあまりお勧めできない。その場合は、あくまで事実の提示に留め、信念や評価を相手にも受け入れるように強要するのは避ける。

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