最近,いくつかインパクトのあるフォントの使い方を見た.そういう作品たちを見て,文字として認識できる標準形状と限界形状について考えてみた.
わかむらPの最近のMV2作品では,同じフォントが使われている.全ての線が直線のみで構成されていて,かなり特徴的だ.
八王子P「Heart Chrome feat. 杏音鳥音」Music Video
八王子P「Carry Me Off feat. 初音ミク」Music Video
この動画で使われているのは,視覚デザイン研究所のラインGフォントだ.
細身の直線で構成されていて,本文には向かない.ポスターのロゴや漫画のタイトルのような,可読性よりもデザイン性を重視する用途で映える書体だろう.字形については,かなり崩されている.漢字は元々形状にかなり無駄な部分があるのである程度崩しても良いとしても,ひらがなやカタカナはかなり認識できる限界ギリギリのデザインだ.一文字だけを大写しにされたらおそらく認識できない.こういった幾何学的な形状のフォントは,思いついたとしても,実際のデザインを許容可能な崩し具合におさめるのは至難の業だろうと思う.
少し前のアニメにはなるが,キルラキルは逆方向にインパクトがあるフォントを採用した作品だった.
キルラキル公式HP
最初からインパクトを重視した作品で,タイトルロゴのデザイナーである市古斉史氏が設計したものらしい.この作品で使われているフォントは,FONTWORKSのラグランパンチUB書体.
極太の字で,細身でデジタルな雰囲気とは真逆を向いている.いずれにしても,タイトルロゴ向きであって可読性が低いことに変わりはないが,格好良さの方向性がひとつではないのはいいことだ.
小説と比べて,MVやアニメでは可読性が低いフォントも許容される.その理由を考えてみた.
本文書体に用いられる明朝体やゴシック体は,日本人がプロトタイプとして認識している字形に近いのだと思う.だからこそ,ストレスなく読むことが出来る.字形を映像として認識するのに時間がかからないからだ.このため,書体にデザイン性を求めるならば脳内のプロトタイプとは多少外れた形状を取る必要がある.無条件で文字として認識されてしまう形状から外すことで,書体を見た人の脳を「読む」モードから「視る」モードに切り替えさせるためだ.例えば,iOS7が細身のフォントを採用して以来,細身のフォントは格好いいというような風潮があるように感じるが,iPhoneのように長文を表示し得る場面で使われると目が疲れる.標準フォントの字が細すぎて,一般的な本文書体の白黒バランスから外れたところに位置しているためだと考えている.
最初に挙げた例で用いられているフォントたちは,「視る」デザインのために風変わりな形状に設計されている.それでも,認識可能な字形の範囲には入っている.それぞれの文字について,どの部品が最も認識に影響を与えているのかは,調べてみると面白そうだと感じた.
フォントを選ぶ際や,フォント作成の際には「標準的な形状」と,「許容可能な限界形状」の双方を定めておくと,便利であると感じた.
アージャさんのアリニアを見ていると,造語依頼フォームというものが案外いい感じで造語リストの拡充に寄与しているらしい.なので,自分のところにもつけてみた.
造語依頼フォーム
イジェール語は文法や辞書をはじめとした全てのコンテンツはオープンであるものの,広める為の活動をしていない.なので,そもそも学習者や興味を持ってくれる人の幅が狭く,このシステムがうまく働くかはわからない.とはいえ,やってみなけりゃわからないという側面は大きいので,試験設置してみる.
【諦める力/為末 大】読み終わった.男子400メートルハードルのメダリスト,為末元選手が書いた啓発(?)本.私は普段,自己啓発本は全く読まないのだが,Twitterでの為末さんのつぶやきを見ていて,興味を惹かれたので読んでみた.かなり面白い本だったので,内容をまとめつつ感想を書いた.
喩え話や具体例も載っていて読みやすいので,成長や継続にとらわれて苦しいと感じている人にはいい本だと思う.
続きを読む
称号
苗字の前、名前の後につける。Mergira RabanzinならMergira sun Rabanzinで「メルギーラ・ラバンジンさん」になる。苗字だけを呼ぶときはsun-Rabanzinで、名前だけを呼ぶときはMergira-sunになる。例でわかるように、苗字あるいは名前だけを用いるときはハイフンで繋ぐ。
記述詞の称号扱い
前述のように苗字と名前の間に置くことで、一般の記述詞でも称号扱いすることができる.例えば Dz’on Smit に対して、Dz’on-kovean とすると「可愛いジョン」となる。Rit’ed-kid’irokerin で「獅子心(王)リチャード」となる。
Pabrif tire, ze srebaom tau Vorfgang Mocar’tef zik ze bei dore n ur marserin u. S’as cok tau Reoportef ze s’as beif marserin dore u aidaret keri Vorfgangu deiv sreban nir semet. S’af 5-fadoaur kisdareesku ometra ta kraviazrebaom tuirin dore. S’af tiret zik ze mirkare fadun ra, ze s’af aidomu muze dim s’af sien sarisin ab reven u. Ref medare, ze Vorfgangef marseru reve ain du adeaet u, derua.
原文:Zaslon 著
音楽家ヴォルフガング・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)は幼い頃から天才であると言われていた.彼の父レオポルト(Leopold)は息子が天才である事を確信し,幼い頃から彼に音楽の教育を施した.5歳から作曲を行い,ピアニストとしても活躍した.亡くなる前に彼は,自らが幸運に恵まれていることは認めるが,努力を欠かしたことは無いと語った.私は,ヴォルフガングの才能は非常な努力によって獲得されたものではないかと思う.
【完璧な涙/神林長平 著】を結構前に読み終わった.感情が一切ない少年である宥現,と魔姫と呼ばれる旅の女が,「それ」と呼ばれる古の戦車からの逃走劇を軸に,感情と時間について思いを巡らせる作品.
核心についてはネタバレなしで紹介しておく.
かなり難解な話だった.正直,戦闘妖精・雪風シリーズよりよほど難しい.また,主人公の宥現は本当に感情がないという珍しいキャラクターだ.雪風の主人公,深井零も情動が薄いように書かれるものの,クールに振舞っている零とは違って,完全に人間味がない.雪風というマシンと零という人間の対比が面白い戦闘妖精・雪風と比べて,「完璧な涙」の宥現と「それ」は完全に同じ立場にある.
少しづつ読むと意味不明になるので,一気に読むのがオススメ.幸い,文章自体が読みにくいわけではなかった.
Pam, pam tau Soncea,
Iemef tarariu deive kerin.
S’as aridu butau fege,
tarariu ta enimau deive kerin.
Reri, reri ze z’amanra are n ni,
Korita usden u iue kerin.
原文:Was milodmam(マクシャギュア語辞典)
Vene pit wawra, (母なる太陽よ)
Samma o eltis proua cawea nas. (山に木々を育みたまえ)
Uyuie eslens oi puta mauya essi (その腕に水を抱き)
Eltis in hassas poule cawea nas. (木々と獣とを育みたまえ)
Dineka o rokia en ifas di (地の上にある我らに)
Yoleka dowras poule proua nas. (日々の恵みを与えたまえ)