Starlight Ensign

「諦める力 〈勝てないのは努力が足りないからじゃない〉」読了

【諦める力/為末 大】読み終わった.男子400メートルハードルのメダリスト,為末元選手が書いた啓発(?)本.私は普段,自己啓発本は全く読まないのだが,Twitterでの為末さんのつぶやきを見ていて,興味を惹かれたので読んでみた.かなり面白い本だったので,内容をまとめつつ感想を書いた.

喩え話や具体例も載っていて読みやすいので,成長や継続にとらわれて苦しいと感じている人にはいい本だと思う.

内容は,為末さんが競技生活や私生活を通じて得た教訓に関するものだ.周囲の人はみな,無責任に「やればできる」とか「夢は叶う」とか言うが,そういった甘い標語に寄りかかるよりも自らの限界や能力特性を考慮しながら人生設計しましょう,というお話.著者によれば,時間も才能もリソースは有限で,かつ平等に割り振られているわけではない.勝利を求めるのならば,自らが勝ちやすいフィールド以外を諦める決断も,目的のためには必要だという.ここで「勝利を求めるのならば」と書いたのは,もし判断の軸が「続けることそのものが楽しいから,ずっとやっていたい」のように勝利以外を目的としていた場合には,最適な選択は異なる場合がある為だ.要するに,どういう到達点を目指すか,どういった手段を取るべきか,それらの内最も重視する物はなにか,をきっちり定めるべきだという話である.

これらの話は,リスクマネジメントという観点でみれば非常に当たり前の話ではあると思う.オプションを多く持っていたほうが一度に全てを失う可能性は少ないし,機を逃さずに攻めの姿勢に転じることができる.しかし,こと精神論が幅を利かせる場面となると,そういった冷静な判断を放棄してしまう人が多い.人生訓,スポーツ精神論,宗教でも何でも,自ら進んで信じるなら結構なことだが,主体性なく選択してしまっているなら,現状を振り返ることが必要だろう.

実態のない言葉は聞こえが良いので,人を鼓舞したり,物事を考えているかのように見せかけるには良いツールだが,自らがそれにとらわれるのは考えものだと思う.特に,「甘え」「厳しさ」「成長」あたりの言葉は定義がされないまま出てくることが多い単語であると感じる.例えば,勉強をサボってゲームをすれば「成長を放棄している」と批判されるが,実際には勉強のスキル向上を放棄する代わりにゲームのスキルを向上させているわけで,そういう意味では成長の方向性が変わっているだけである.こういう観点で捉え直すと,「成長を放棄している」と批判する人の本心は,「勉強スキルとゲームスキルを比較すると,ゲームよりも勉強の方が良い投資である」というのが言いたい内容の肝になる.言い変えてみるとわかるが,もし自分がゲームスキルを高く評価しているのなら,批判者とはそもそも目指している先が違うということだ.真に受ける必要はない.

「成長から逃げているのではないか」「現状に甘んじているのではないか」と悩む前に,そもそも成長とはなにか,逃げとはなにか,甘んじるとはどういう状態か,等を定義してから話をしないと,何も解決しない.自らの限界を見定めた上で,自分は何を目指すのかを日常的に考えることが必要だ,という本書の内容は,とても教訓に満ちていると感じた.


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